のぉ れいん のぉ れいんぼう

田邊裕貴の見た色々を雨のように、あなたの中に今まで無かったものを

のぉれ

天才たなべの大冒険

【エッセイ】迷走神経

 




18歳


俺がこの夏



「受験生、受験生」


って言って


まるでこの1年間は今までの17年間とは違う所にあるかのように受験してたら



その1年間で



ちゃんと前に進んでる大人に差つけられるんちゃうかな


と思って怯えています



田邊裕貴です。







Blogって色んな人に見て貰おうと思って書いてるつもり





やけど、今考えたら兎にも角にも自己満足



そうやって書いてきてた気がする



人間はそれぞれが、それぞれの人生の主人公




とか言うけど実際は




自分で喋ってるつもりでも、周りの環境に喋らされてる事の方が多い





自分の口でさえ、自分が納得するようには動いてはくれない



でも文字はもっと自己を満足させる事に近い。




そしてやっぱり














おすすめは






















写真




これほど自己満足に近いものを俺は知らん


自己満足に近すぎて伝わらない事が前提にある。





ルールがないから


見る方も見たいように見ることが出来る


見る方も自己満足に評価する事ができる




無意識的にも意識的にも。

 



この、見たいように見ればいい


感じたように動けばいい



この感覚



この感覚だけは守り抜きたい


例え大人たちに差をつけられても



ここが俺の最終防衛線かな














 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


って言うて





意味の分からん自撮りを載せる

 



口では説明できんくて、俺の言いたいことは写真の中にあるよ



っていう話



満足満足、















Fin.

 

 

解説

ずるい。

 

これは上手いと思った。

率直に感想を述べていいなら、「写真が下手」になるのだけれど

 

それを許さない構成になってる。気がする。

ずるい。さすが俺。

 

 

 

 

例えば

 

自分の口でさえ、自分が納得するようには動いてはくれない

 

この感覚(自己満足)だけは守り抜きたい

 

っていう文章の繋がりがいいですね。

 

 

最後に書いてた

 

口では説明できんくて、俺の言いたいことは写真の中にあるよ

 

っていう文、これは多分嘘なんですよね。

この文章の嘘っぽさをもっと出せたら上の2行が強調されて良かったかなぁと思いました。

 

本当は上に記した2行の行間に言いたい事がある。

 

「自分の口(表現)が完璧に納得のいくものになることはない。

それでも、自分が言いたい事、表現したい事を出し切る事が大事である。」

 

っていうちょっと矛盾したメッセージがあると思うんやけど、

矛盾を明確に書いちゃうと、メッセージ性って多分弱まっちゃうことがあるんですよね。

だから行間に込めたんだと思います。

そのあたりが昔の俺っぽくて好きです。

 

更に「出しべき(自己満足に向かうべき)」っていうメッセージなのに、それを明確に表現しないっていう矛盾を使うあたり

本当に当時の俺らしい表現ですね。

 

もっというとそこに「迷走神経:どこから来て、どこへ行くのか分からない神経」っていうタイトルがかかってて、自分なりに結構秀逸だなぁと思いました。

 

 

 

当時読んで頂いた方には本当になんのこっちゃ分からない記事になってたんじゃないですかね。

その節はすみませんでした。

 

実は自分の中ではこういうよくわからないエッセイほど、ブログ記事という単位でどれだけ芸術らしい表現が出来るのかって考えて書いてたりするんですよね。

 

 

 

by田邊裕貴(2018/12/16)

 

 

Fin.