進化した田邊裕貴です。この記事は2017/2/7に更新しました。
目次
余談
昔から塗り絵とか、お手本とか、そういう「なぞる」ものが嫌いで、
昔に比べるとなぞれるようになった気がする。
俺も丸くなったのか。
これやり切った。
中見せたら多分著作権法違反やから載せられへんけど
拝啓 皆様にはますますご健勝にて
みたいな例文、お手本が書いてあって
その横に薄くそれがコピーされとって
その横にフリースペースがあるんよ。
俺はこのフリースペースに意義を申し立てたい。
100均に売ってる本にいちゃもんつけるのもアレやけど、言わせてもらう。
この本買うようなやつにフリースペース与えても字の練習せぇへんやろ
白紙で字の練習するような奴にこの本いらんやろ
って話。
完全に個人的な意見やけど、この手の本作る人はもっと考えこんで欲しい。
で、字が綺麗になったのかって話やけど
右が本をやりきった後
左が3ヶ月前の俺の字
そんなに変わらんし、左の方が好き。
右は「実」の字間違えとるしな。
本題
さて、ここで面白いのが過去の自分はまるで他人やねんな
過去の自分は他人なんよ
考え方次第やけど。
逆に考えたら他人は自分なんよ。
我思う故に我あり
っていう哲学で有名なデカルトの言葉
今考えている自分が存在しているという事だけは、証明できる。
って事な、
”今”考えている自分以外は自分じゃないねん。
”考えていた”自分は自分じゃない。
もう1つ紹介したい
世界5分前仮説
ラッセルっていう人が言うたんやけど
「世界は五分前に始まったのかもしれない」
っていう仮説、
いやそんな訳ないやんって思うやん?
この仮説の面白いところは否定できんところ。
例えば「今までの人生の記憶がある」って反論すると
「その記憶も五分前に作られたのかもしれない」って事になる。
「タイマーで五分計ればいい」に対して
「ある秒数経過した状態のタイマーが五分前に作られたかもしれない」
「五分前仮説を考え始めて五分経った」に対して
「その記憶も五分前に作られたのかもしれない」ってなる。
つまり過去は存在しないって事になるんよな
あくまでこれは思考実験やけど。
でもそう考えると、過去の自分も他人も
そいつが何考えとるかっていう理解の深さが違うだけで
こんな奴がおる
っていう記憶でしか無いやん。
「お前のせいで俺はこうなってしまった」って他人に言うても仕方が無い事なんよな。
今の自分を作ってるのは今の自分しかおらへん
だから人間は変わろうと思った瞬間に変われる
友達が少なくても過去の自分が沢山おったら同じぐらい価値があると思う。
そうなると、逆に「お前のおかげで・・・」っていうのも必要なくて
今を決めるのは今自分がどうするかっていうだけの話やから
自信は必要ない
自信が必要ないほど、今に没頭すればいい。
まとめ
- 過去が今を作っている訳じゃない
- 今を決めるのは今自分がどうするか、だけ
- 過去の栄光は必要ない
- 自信が必要ないほど、今に没頭すればいい
この記事を書くにあたって刺激を受けたもの
↓
おまけ
ここからどうでもええコーナーやから忙しい人はここまで読んでくれてありがとう
暇な人は続けてな。
これ昨日の深夜2時に見て爆笑した。
催眠術師になろうと思った。
芸能人でクラス座席表作るのってちょっと流行ってた気がするんやけど
それぞれの設定まで考えてたのが面白かった。
と、同時に、今行ってる学校もこんな感じで表したら人間ドラマ生まれるよなって思った。
ちなみに俺が座席表作るんやったら俺は先生役になる。
もちろん生徒からの支持が絶大で校長より影響力ある設定な。
そして俺や。
今日は俺の師匠が一眼デビューしたらしくて、散歩した。
俺が撮った写真に師匠が撮ってくれた写真挟んでいくわ
一緒に散歩する人募集中やで
Fin.