のぉ れいん のぉ れいんぼう

田邊裕貴の見た色々を雨のように、あなたの中に今まで無かったものを

のぉれ

天才たなべの大冒険

オモロ・イズ・ノット・ダイ

 

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実家の猫が死にました。

 

今週月曜日の昼下がり

 

午後2時ころ

 

タマが納屋で死んでた。

 

マメが俺を呼びに来て、納屋に行ったらいつもの場所で寝てるように・・

 

田んぼに埋葬してやったで。

 

 

父から田邊家のLINEグループにメッセージが投げられました。

 

実家で飼っていた猫、タマサブロウが亡くなったという知らせでした。

 

 

マメというのはこれまた実家で飼っているトイプードルで

これまた実家で飼っているトイプードル、モモの子供です。

 

 

そのメッセージから少し時間を置いて、兄姉や母から「手合わせに帰るわ」というメッセージが連なっていました。

 

自分がこのメッセージを読んだのはその日の夜の事で、タイミングを逃したというか。

返信は出来ませんでした。

 

 

 

 

思えば、

 

 

 

実家で飼っているペットの死を、知らせてくれるのはいつも母だったように思います。

うちでは母が一番ペットの面倒を見ていましたから、彼らに接する機会が多かったからでしょう 

 

 

 

 

 

 

タマサブロウとはよく慣れ親しんでいたつもりなので

このメッセージを読んだとき

当然感じたことのあるような、大きな喪失感が降りかかりました。

と、共に

 

 

父から知らされた。という事が少し、タマの件とは無関係ですが、

実家を離れて2年経とうとしている自分と故郷との距離を感じさせました。

 

 

 

 

 

猫のタマサブロウの話

 

亡くなった「タマ」こと「タマサブロウ」という猫は

いつだったか親父が拾ってきた猫で、来たときには既に弱りきったおばあちゃんでした。

 

タマはおばあちゃんと言っているとおり、メス猫なのですが

名前の由来はとにかく顔が男前で、渋いから。

 

 そんなタマは、人にも犬にも動じないという貫禄の持ち主で

まさに「三郎」という渋い響きに説得力を持たせていました。

 

それでもお腹が空いたら猫らしくニャーニャー鳴いて近寄ってくるあたり

猫は猫ですね。

 

 

 

 

 

同じように実家には他にも猫がいて、名前を「あしゅら」といい

父いわく正式名称は「あしゅら丸」だとかなんとかいうのですが

これがまた名前の由来を説明するのが面倒なメスの猫で。

 

とにかく

 

やはり猫なので、最初はお互い睨み合っていましたが

そのうち睨み合うという程でもなくなってゆき、

 

お互い一定の距離を置いて生活をし、仲良くとまではなりませんでした。

やっぱり猫なので。

 

 

 

 

 

常時3匹はいるであろうプードルの群れに対してタマは

その凄まじい貫禄で、自分より大きい毛むくじゃらのモンスターが2匹も3匹も寄ってきても、

 

無視する。

 

という、ここは猫ならざる猫でした。

 

 

 でも、家の人間が帰ってくると納屋から出てきて

 

はやく中に入れろ

 

とニャーニャー鳴くのでした。

扉を開けても何故か入ってきませんでしたが。

 

 

 

 

ゴン太と大吉

 

 

うちはペットを沢山飼っている家庭だという事が分かったかと思いますが

 

これは最近の話で、

俺が幼い頃は犬1匹と猫1匹でした。

 

僕の中でペットの原体験というのはその、犬の「大吉」と猫の「ゴン太」であり

この2匹の死は、

 

今でもよく覚えています。

 

 

大吉は、雑種で、馬鹿な犬でした。

オスです。

 

彼はフィラリアにかかって亡くなったのだけど、

ついにはもう普通に生活するのが厳しくなって

病院に少しばかりの間入院させていました。

 

僕は小学校何年生だったか、毎日病院に通いました。

それまでろくに散歩もしてなかったのに

 

今思い返すとなんて勝手なやつだとか思うけど、

多分、毎日ちゃんと世話してても、してなくても、

この毎日のお見舞いは変わらなかったはず。

 

 

大吉は、最後にはどうしようもなくなって

家に戻ってきた。

 

最後は歩くこともままならなかったのに

急に散歩に行きたがった事を覚えている。

 

でも歩けなくて、抱いて連れて帰った事も、覚えている。

 

 

それから日を置かずに、大吉は他界した。

朝、洗濯物を干しに納屋に行った母が見つけた。

 

 

その日は少し遅刻した事を覚えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴン太は、我が家にはとても似合わない

綺麗なシャム猫でした。

 

あ、オスです。

皆から「ゴン」と呼ばれていました。

 

 

シャム猫はタイ王国でも名のある家系でしか飼うことが許されていないような高貴な種らしくて、

それがいきなり日本の田園にやってくるわけですから

田舎猫達は大変だったみたいです。

 

ゴン、DNAがいいんです。

だから日本の田舎猫に比べるとよっぽど体が大きくて、

喧嘩がめちゃくちゃ強かったんです。

 

ご近所さんの猫を半殺しにして、怒られるという事まであったそうで

 

やんちゃなやつ。という事で「ゴン太」になったそう。

 

 

 

 

そんなゴン太は僕が生まれる前から田邊家にいて

僕とゴンは

赤ん坊である僕が泣き始めるとベッドのところまでいって、尻尾であやしていた。

 

なんていう話があるくらいの付き合いで、

俺が大きくなってからも僕には絶対怒らなかったし、

俺が寝るまで絶対一緒にいてくれたのはよく覚えてる。

 

僕が神輿の乗り子をする、地元の秋祭りの前夜に死んだ。

 

よく覚えてる。

 

寝たきりのゴンは、最後に一度だけ大きく鳴いた。

12年間一緒に過ごした仲だけど、それがどういう意味かは分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

タマは、喪失感だけだった。

 

だけ。

 

というと語弊があるかもしれない。

喪失感は確かに大きいものだったが

 

学校へ遅刻する事もなければ、泣くことも出来なかった。

 

 

大切な出会いだが、その別れが必ずしも強烈な体験にはなり得ないようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

死を体験するのはあちらか、こちらか

 

おばあちゃんのお葬式をよく覚えている。

 

お葬式に参加する事事態初めてだったし、

親しい人が亡くなるのも初めてだった。

 

「死」をこんなに感じた事はない。

 

 

 だが祖母も初めてであったろう。

 

 

何十年生きても、「死」を様々な角度から体験する事は叶わない。

 

いくら科学が発達して、拡張現実で地獄や天国を覗こうとしても。

 

それは叶わないだろう。

 

 

 

 

どんな「死」も一生に一度しかない。

 

 

 

その時期はコントロールできないし立場も選べない。

 

 

だからこそ、選びたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

日本一不謹慎な葬儀屋

 

 タマが亡くなったのは。

 

専門学校の同期のゴトーさんと、たまに行くカレー屋さんで

 

自分の葬式は面白くして欲しいね。

 

と話していた数日後でした。

 

 

 

ゴトーさんは普段から「死ぬ」「死のっかな」「死のう」と発言する人で

僕は自分の事を死なない人間だとにわかに信じてる

 

お互い不謹慎な人間なのですが

 

 

結局、俺もゴトーさんも面白い葬式にしたい人だし

そういう奴を数名知ってるし

 

これ需要あるんじゃね

 

と思った結果。

 

僕は日本一不謹慎な葬儀屋を思いつきました。

 

 

 

どういうビジネスかというと、

 

面白い葬式をして欲しい人に、予約してもらってプランを聞きます。

遺言書を書いていただき、死ぬまで積立をしてもらいます。

それらをこっちで管理しておき

 

お客さんが死んだら迎えに行って

 

お客さんが死ぬまでに積み立てたお金の範囲で可能な限り実現する。

 

というものです。

 

 

多分僕とかゴトーさんとかだと面白いお葬式を望みますが

きっとお客さんの中には面白さというよりオリジナリティ溢れる葬式を目指す方もおられるでしょう。

 

お客様のプランに合わせて見積もりをだして、それに応じた金額で積立をして頂く形になりそうですね。

 

 

 

 

 

 

ただ死人に口無しですから、

遺言書がかなり重要になると考えました。

 

どれだけ僕らに任せて頂けるのか。

 

というより、お客さんはきっと葬儀に関して柔軟な考えをお持ちの方なのでそんなに心配はしていないのですが

その親しい人達と揉める事が一番起こりそうな事であり、

一番起こしたくない事なんですよね。

 

そこを事前にちゃんと詰められるのか

 

想像するだけで怖いです。

 

 

 

 

 

お客さんがある限り

 

ただ、我々のお客様は送られるご本人様であり、

お客様のためのお葬式を目指すべきと考えており

 

そこはどのような親族様とも大方向いている方向は同じなのかな

 

と思ったりします。

 

こだわりポイントは、お客様の積み立てたお金だけで取り計らうのがベストかなぁとか考えてます。

 

 

人が亡くなって、生きている人間たちの間で一番揉める事がお金の問題なんだとか聞いたような気もしますし。

 

 

宗教的にも、金銭的にも後腐れしない葬式が出来たらいいなとは思います。

 

 

 

 

まだ火葬場の問題や会場の問題、

ゴトーさんと少し考えただけで問題は山積みですし

 

きっと僕が少し考えたくらいじゃ思いつかない大きな問題がエベレストみたいになってるんでしょうが

 

 

これはあくまで僕の日記に記された戯言だと思って下さい。

 

 

ゴトーさんは

 

「田邊さんのお葬式は笑いが起きそう」

 

 

って言ってたのがこの話の発端です。

 

僕はそうなればいいなと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 オモロ・イズ・ノット・ダイ

 

「死」は、それだけで悲しい。

 

でも

 

生きている我々が笑えない事もまた、悲しい。

 

人生は面白く出来るだけ面白くしたい

 

それを止める権利は誰にもないだろう。 

 

 

 

 

 

僕はそう思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

タマサブロウを偲んで