電車で寝ている人は、皆決まって幸せそうである。
時たま辛そうな顔で寝ている人もいるけど
2020年6月28日
最寄駅で夏の匂いを観測した。
常に孫の為に冷凍庫でアイスを冷やしてる。あのおばあちゃんちの匂い。
線香の残り香とタンスの匂いが長い年月を掛けて調和されてる匂い
なんでこの世田谷の駅前でそんな匂いがしたかは分からんけど、その匂いだけで心が騒ぐのであるから
やはり夏が好きだ。
匂いと味覚の記憶はかなり残り易いらしい。
あの人の香水だとか、あの時旅行先で食べた伊勢海老だとか。
なんか巷で香水の歌が流行ってるな。実際にドルチェ&ガッバーナの香りを思い起こせる人がどれくらいいるかは知らんけど、
多くの人は情景を想起させられる。
それが言語の面白さである。
6月の末になってようやく仕事が始まった。
この仕事を初めてまだ3年程だが、そんな浅い経験でも分かる。
例年に比べると仕事が少ない。
どうせろくに稼げないなら給付金に頼って地元で1ヶ月くらい過ごすのも悪くないかもしれん。
原付を買おう。それで欲しかったレンズも買って、お金があったらドローンも買う。
それで地元で一番イケてるハンバーガーショップでバイトしながら友達と遊んで、呑んで、皆が構ってくれない時は作品撮りでも出来たらいい。
とか考えてたら東京で働く意義について考えてしまうな。
この問題の中枢は「経済観」であると思う。
東京で年収が1000万円でも、そこまで稼いでいない俺でさえ「大きな顔は出来ないだろう」と思ってしまう。
家賃も物価も高い。冷静に年収1000万円の暮らしを考えても、多少生活水準が上がるだけで、お金を気にせず生きる事は叶わないだろう。
家族がいれば尚更。ただ1000万円は1000万円である。
では田舎で年収1000万円だとどうか。
多分「お金持ちの人」くらいの雰囲気は出るんだろう。家賃も物価も低い。きっと労働力も安く雇える。
その分1000万円稼ぐのは大変な事なんだろうが。家賃を抑えられるのは大きなメリットである。
人間社会に生きる限り経済から逃れて生活できない。経済は足枷にも神輿にもなる。どちらにせよ軽い方がいい。
で、結局はどんな生き方をしたいか、何歳まで生きたいかとか考えながら多くの人が18から22歳くらいまでで作戦を立てさせられる。
作戦だって、足枷にも神輿にもなる。実は作戦も軽い方がいい。
優秀な人は常に最悪のケースを想定しているし、凄い人は最悪のケースに対応出来る。
凄い人だけが好きな事をしても怒られない。
怒られない。
好きな事をしてると怒る人もいる。
何故なら世は生き辛いものであり、好きな事が出来るようには出来ていない。という思想のもと生きている人もいるから
きっと18やそこらの歳で重い作戦を立てて生きてきたんだろう。
そういう人に怒られる事もある。だがそれが理由で物事を辞めなきゃいけない訳じゃない。
法律にだって、実は「人を殺してはいけない」とは書いてない。
ただその際の罪と罰を書いているだけ。
そろそろ話をまとめたい。
生存戦略なんてカタく考えるから作戦が重くなり続ける。
夢でいいし、夢は曖昧でいい。いくつあってもいい。
作戦はあえて言葉に起こす必要も無い。むしろ言葉ではなく抽象的な世界でいかに深く考えられるかが
軽くてもイケてる作戦に繋がるんだろうと信じている。
まずは妄想でも想像でもいいから思い描ける限り自分を思い描くといいだろう。
脳内のシミュレーションは思ったよりよく出来ている。
夢を見ている人間はやはり幸せそうである。
幸せの定義は。
抽象的なものをそのまま捉えて欲しい。
夢とうつつ、どうせいつか目を瞑るなら今のうちにどっちも死ぬほど見ときたい。
Fin.
おまけ
「居候の3」