これは、遺書、のようなものです。
死ぬ予定は無いし、死ぬ気もない。
けど人は急に死ぬし、本人にとってもそれは急な事のようです。
多分ね。
兵庫へ
もう関西弁は東京弁と混ざりってます。ごめんなさい。
でも俺の中で標準語は播州弁やし、汚いけど魅力的な言葉やと思てます。
それでも東京は面白いです。人が沢山います。沢山居るだけかもしれないし、そこが夢の国なら、それだけで十分なのかもしれない。
東京のJKは殆ど自転車を漕ぎません。
漕いでる所をあんまり見たことがありません。埼玉県に行くとJKもチャリ漕いでます。
僕が初めて東京に住ませてもらう時、埼玉と東京の境の2つの物件で、JKがチャリ漕ぐ埼玉も魅力だし、街が整ってて住所が東京と書ける東京も魅力的だったので随分悩みました。東京にしました。
東京へ来てからというもの、少し馬鹿になった気がします。
小学中学というのは、同じような土地で育っただけの様々な人が存在しますが、
高校へ入るとそれなりに同じような土地の同じくらいの頭を持つ人が集まって、
東京へ来ると全然違う土地の全然違う人も、同じような人も沢山います。
でも日々会うのは、大凡同じような事をする、似たような思考を持った人ばかりなので、
僕のやってる仕事はどうやら世間とはかなり離れてるみたいで、
そうすると社会的に馬鹿になって行くようです。
こういうの歌舞伎者とかって、そう言ったりするんでしょうか。だとちょっと嬉しいです。
頭はちょっと柔らかくなった気がします。
中学生は優等生として、生徒会長として、バスケ部のキャプテンとして、田邊家の次男として、
高校生は歌舞伎者として、学年下から4番目から8番目くらいを行ったり来たり、フォークソング部と卓球部と生徒会室を行ったり来たり、
狭い世界とはいえ馬鹿もカリスマも生きてみたつもりです。
これ、どっちもやった事ない奴は可哀想です。
もしこれを読んでて、自分の深みのために人生を棒にでも振れる人間がいるならやったほうがいいです。
ジュノンボーイは苦痛でしたが、自分の芯が揺らぐような事は若いうちに、失敗しても大丈夫なうちにやっとくべきです。
自分の芯が揺らいだ時の人間の弱さと、弱い自分を見といた方がいいです。
それで死ぬならそこまでの人間
生き残った時、サイヤ人みたいに戦闘力が上がってる訳じゃないけど、
自分の振れ幅は大きくなってるし、新しい事に挑もうとした時、自分がどうなってしまうのか、
そのワクワクと恐怖の、恐怖だけが小さくなります。何が恐いか知ってるから。
日本の首都、東京都の真ん中、東京23区の都庁所在地、東京都庁のあるとこ、新宿区、
新宿区のギガメガスーパーターミナルな駅、新宿駅によく行きます。
地元じゃ顔がいいだなんてよく褒めてもらえたし、東京に来てもちょくちょく褒めて貰えるのですが、
新宿駅でナンパされた事ありません。ナンパした事もありません。ナンパって何。もちろん原宿を歩いてもスカウトもされないし、スナップ写真も撮られません。
自分の何がイケてないのか、分かってる部分もあるし、分からない所もきっとあると思います。
でもこれまでの田邊裕貴を踏まえて、今とても田邊裕貴らしく生きている気がします。
そういう訳で余裕があります。悪く言うと焦りが無いんですが、
自分が良くも悪くも柔らかいのを感じ、流れ生きています。
遺書を書いてみようと思ったら回想録になりました。
死を考えるとやる事なんてなくて、昔の事を思い返してみるしかないんですね
走馬灯を見てる時間が人生で一番暇かもしれない。
次にやる事なんてないんだから。
でもまだまだまだまだまだまだまだ…生きるつもりですし、死ぬ気は更々ありません。
死ぬ気がしない。死んでたまるか。
とはいえ生きるのは難しい。
生きるという事は
なりたくない大人になってしまうかもしれないし
肌はここから劣化していくだろうし、
大怪我をするかもしれないし、大切な人とお別れする事になるかもしれない。
大切な人とお別れするのは辛いが、それが人生で、
でもお別れした後でもその人を感じたいものじゃないですか、人って、
お別れは言わないし、出来ない。
その人はもういないんだからその人の事考えても仕方がないのに、
人は考えるじゃないですか、
それは忙しいが過ぎると思う。
次にやるべき事しかないのに。
そして生活は続く
Fin.