のぉ れいん のぉ れいんぼう

田邊裕貴の見た色々を雨のように、あなたの中に今まで無かったものを

のぉれ

天才たなべの大冒険

レイトショー

 

新宿バルト9のレイトショーで、でかいスクリーンを前に俺以外にはカップルが1組だけ

 

という状況で『劇場版 呪術廻戦0』を見た。

 

めちゃくちゃ良かった

 

チケットをネットで予約した時には貸し切りやったから、折角ならとど真ん中の席を取ったけど、

後から入ってきたカップルが俺より後ろの席やったのが良かったのか惜しかったのか考えてみる。

 

映画館は基本的にど真ん中の席を基準に色々調整してあって、映像も音も一番良く視聴出来るようになってる。

更には客の入り具合で音はかなり変わるので、ここまで貸し切り状態で見れるというのは本当に幸運。

 

 

 

普段はどうせ真ん中で見れないなら一番後ろの席で映画見たいタイプなんやけど、それは客層と、そのリアクションも見たいからで、

 

終電の無くなったレイトショーに駆け込んでくるカップル

っていう中々見れへん人たちが映画をどうやって見るのか

 

めっちゃ気になってんけど、

 

とはいえ俺より前におったとて俺の想像を越えた行動をカップルが取る確率はかなり少ないはず。

もし想定内であったなら軽く失望しながら集中力を削がれてただけかもしれん。

その一部始終を生で見たっていう勲章的な経験が残るだけ。

 

 

 

つまりは後ろにおってくれて良かった。

という結論である。

 

 

 

演出とはこの想像との勝負であり、見る人の「想定内」と自分の「普通」を合わせながら、「普通ではない」ことを差し込んでいくのが普通の演出

 

例えば上に書いた話をフィクションにするなら、

遅れて入ってきたカップルを、普通のカップルじゃなくしてみる。

片方はこの季節やのにやけに薄着だとか

男のほうがスーツを着ているだとか。

 

そうすると観客の「想定内」は更新される。

人は「普通ではない」事に注目してそこから情報を抜こうとする癖がある。

でもこのフィクションを楽しむために真に大切な情報は遅れて入ってきた事かもしれない。

 

 

そうやって「普通」と「普通でないこと」を相対的に、時に絶対的な指標として提示される事で人は「普通でないこと」に対して感情移入出来るようになる。

 

やはり人間はどうしても自分が持つ「普通」という物差しでしか物を測れないが、

「普通」は変えられるし、与える事も出来る。

 

俺は遅れて入ってきた普通のカップルの、自分から見える普通の部分しか見てない可能性のほうが高い。

 

そう思うと一度くらい振り返ってみても良かったのかもしれない。

 

 

 

余韻に浸りながら24時間営業の罪深いラーメン屋に寄って帰った。

 

 

 

 

 

Fin.