どうも、お金が有り余って困ってる人と知り合いたい
天才田邊裕貴です。
↑今日上野でぶらぶらしたよ
クリエイティブで生きたい
深く考え込むと無限に時間が経ってしまう
人はなぜ生きるか。
でもそんな事って今どうでもよくね?
って思う。
思えるようになったこの頃。
それは今が楽しいからかもしれないし、
単に忙しくて視野が狭いからなのかもしれない。
敢えて言うけど俺は悪い意味での「普通の人」として生きようとは
生きたい
とはこれっぽっちも思ってない。
今は。
過去にはそんな生き方も出来たらええなぁとか、思ったりはした。
今は半分諦めてる。
こんな事自分で言うのも恥ずかしいけど、
数多くの人から「変わってるね」って言われるんです
原因はきっと俺がここまで生きて培ってきた俺なりの哲学が、
俺という人格を貫いてて、
それはもう隠しても隠しきれない何かとして、俺の表面から醸し出てるんだろうと。
きっとそういう事なんだと思います。
人から言われるだけでなく
俺は「普通」を嫌う人間なんだと思う。
というか、俺はいいけど、「田邊裕貴」はね。
って、そんな風に考えたりしてしまう程、
俺の中に芽生えた田邊裕貴は太い。
だからもう、いっその事、
もっともっとクリエイティブしなきゃいかんのじゃないか
他の皆が何かしてる間に俺はせっせとクリエイティブしなきゃいかんのじゃないか
でなきゃ「田邊裕貴」は維持できんのじゃないかって。
そう思います。
自分の人生に忙しくありたい。
自分の人生に背を向けて、何もかも諦めるなんて
それは欲深い俺には出来ひんから
自分の人生をいかに面白く出来るかっていう所に命をかけたい。
だから、人はなぜ生きるか
じゃなくて
いかにして生きるか
で、いいんじゃないかなって思う。
思えるようになった。
自分の人生に没頭して、生きている事すら忘れる。
せっかく脳みそがここまで進化した生物なんやから
それぐらい頭使っていいんじゃないか
本当に集中すれば息って忘れるやん
俺はそうなんです。
昔、書道教室に通ってた頃、
月に1回、渾身の出来を本部へ送ると、その出来次第で進級できたり、毎月発行される便りに掲載してもらえたりする仕組みやったんやけど、
ある時俺の書いた字が掲載されて、
でも進級させては貰えんくて、
掲載された字にコメントが記されてて
覚えてないんやけど
要するに「息も忘れるような筆使い」
的な意味の四文字熟語やった。
じゃぁ書道習ってた先生が、
「田邊くん、集中してる時息してないよ」
って。
俺はそんな事知らんかったんやけど
それって字で伝わるんやなって。
素敵やんって思って、今でも覚えてる。
集中を生み出せる奴って凄い
自分を何かに集中させる事ってめちゃくちゃ難しい。
心からその事を考えなあかん
どころか、
自分の心すら忘れるっていうのが集中なんじゃないか。
じゃあ
他人を何かに集中させる事が出来るやつって何者なん
アイドルとか、ミュージシャンとか、書道家とか、画家とか、
写真家だって十分なり得ると思うんやけど
他人の心を奪うって一体何が起きてるのか。
そこに辿り着いてこそお前は田邊裕貴なんじゃないかって
口だけじゃなく何かしろよって
思う
よっしゃ、やろっと。
Fin.